2004/3/6 日の出の森・シンポジウム 発言記録
  
ごみも処分場もない未来をめざして
    ―日の出の森から世界へ―

日の出町事件」  田島征三(絵本作家/日の出の森・支える会運営委員)

●初めは9割が反対だった―行政の横暴な手口
 一番最初に僕の住んでいた玉の内のことを話したいと思います。500人しか住んでいない小さな集落で、両方に山が迫っていてその間に玉の内川という川が流れている。よく桃源郷のような村だと言われます。今も梅の花が咲き、これから桃が咲き、いろんな花が咲きます。静かな集落です。そこに100軒の家があります。
 二ツ塚第二処分場建設の話がこの玉の内に持ち込まれたとき、この100軒の家のうちの90軒以上が反対だったんです。ところが行政はそれを力ずくで賛成にしてしまった。
 まず初めは何人かの人たちに、あいつの悪口をいえ、こいの悪口を言えと、とてもひどい言い方で処分場計画の反対の先頭に立っている人たちの悪口を言わせるんです。この家の奥さんは昔暴走族と付き合っていたんだとか、あの人はこれくらい借金があるとか、あることないこといいふらす。そしてそれでもだまらないと今度はその人たちの親戚のところへ行って、おまえの店では何も買わないぞとか、勤めている役所で出世できないぞ、とかいって脅迫する。それから次にやったことは、お金です。あとでわかったことですが、処分組合は5000万円というお金をこの小さな集落に落しました。そしてそれでもだまらなかったらどうなるか。僕の家なんかは毎日無言電話です。別の人の家では板塀に火がつけられました。放火です。行政はそういうことまでして、玉の内を見せかけの賛成にしてしまったんですね。
 
 ●湯水のように使われる税金
 こうして、とにかく玉の内が賛成したということですべてが動き始めました。有害物質の流出などを考えれば、三多摩中に大きな影響を及ぼす重大な計画です。その東洋一の巨大な処分場がわずか500人、100軒の玉の内の決定で動き出した。
 当時すでに稼動していた第1処分場から汚染物質が流出して地下水を汚していたことがわかったのはその直後でした。ぼくらはその地下水の電気伝導度のデータを示せ、と要求したけれども処分組合はその数字を示さない。ついに裁判で、数字を示しなさい、という決定がくだりましたが行政はそれすら無視したんですね。その代わりに強制金という罰金を払った。処分組合は雨の日も風の日も毎日30万円というお金を払い続けてついに2億円近くお金を払いました。行政はなんぼでもお金あるわけですから、2億円(*)近くまで払って、そして第二処分場を着工してから初めてこんなデータだっただろうと数字を出してきたんですね。そういうやり方で第二処分場建設を進めました。
*データの代わりに押し付けられたこのお金は、最高裁の判決が出たのち、そのまま返済した。しかし処分組合は、「支払った日から返済した日までの年5%の利息も支払え」と言って、さらに、およそ700万円を請求している。(「日の出の森からあなたへ」より)

●僕らの抵抗運動
 僕達はこういう行政のやり方に抵抗するにはもうトラストしかない、と処分場予定地のまんなかに土地を買いました。そんなこと普通できますか。もうすでに行政はどんどん土地を買いあさっているのに、僕らに土地を売ってくれた地主がいたということなんです。それはさっきも言いましたように、500人が賛成だと言われているけれども、もともと490人までは反対だった、だから土地が僕らの手に入ったんです。しかし、行政はどんどん処分場建設を進め、そして12億円もの税金を使って強制収用。
 ぼくらもがんばりました。直接闘争もやりました。ブルドーザーの前にたちはだかったり、トラックの前にころがったり。ここにいらっしゃる「風の塔」の作者の中里絵魯須さんと一緒になんとパワーショベルのあの「ガッチリ」というところに二人でぶらさがりました。もしあれが「ガチッ」とされたら、中里さんの二つの腕も僕の二つの腕もここからちょんぎれていたと思います。

●これからも応援してください

 処分場はできてしまった。けれども今、僕らは、できてしまったからこそできる闘いをやっています。たまあじさいの会の人たちは処分場ができたことで、どんなに環境が変わっていくのかということを密に調べてくれています。そしてエコセメントの巨大な工場建設に対して今も闘っています。さっきの総会でも資金難ということが言われましたけれど、僕らはどんなことがあってもこの運動を続けます。お金はない。しかしもし今500人の会員数を1000人、1500人と増やしていけば会費をあげなくてもすみます。ぜひ、これからの運動、厳しいですが、応援してください。ありがとうございました。