日の出処分場建設差止訴訟の控訴審判決
不当判決声明文
 本日(2009年6月16日)東京高裁で日の出処分場差し止め訴訟の判決が出されました。
 この判決は、これまで私たちが科学的に主張してきた内容を全く無視して、厚生労働省を引きついだ環境省の全くお粗末と言おうか、お恥ずかしいと言おうか、衛生工学という古いごみの処理処分すなわち清掃事業という後追いのゴミ処理政策を盲目的に是認した判決でした。
 すなわち、いま国が推進しているゴミ処理政策は、旧態依然として家庭から出たごみを集め、生ごみでござれ、化学物質が混じったものでござれそれらを一緒くたにして、入り口管理がなされないまま焼却炉で燃やして、その残渣を水源地に埋め立てる方法です。
 肝心なことは、近年のゴミは、化学物質に囲まれた生活から排出されたものに変化しているということです。従ってこのようにゴミを焼却すると、測り知れない種類と量の猛毒な有害化学物質が、焼却中に生成されます。確かに化学物質は、敗戦後、ものが欠乏していた時代に安価で扱いやすいことで私たちの生活にある種の潤いのような幻想を抱かせてくれた部分もありました。しかし、同時にこのように、さまざまな物質を混合して燃焼することで、ダイオキシンが発生することが周知の事実になってきました。
 したがって海外の廃棄物先進国では、かなり前からゴミの焼却処理を見直して、資源化および循環システムに取り組んでおり、その成果を着実に出しています。その結果、ご存じのように地球上に存在する焼却炉の数は、今や日本に集中し、お恥ずかしながらも全世界の70%を占めるほどになっております。
 私たち住民は、裁判で処分場建設差し止めを訴えると同時に、日本社会に、この危険で、立ち遅れた廃棄物政策の転換を求めてきました。ゴミ処理政策で最も肝心なことは、化学物質をいかに安全に管理するかです。日本の行政は、この危険な物質の排出を、姑息にも基準値をつくって薄めて環境に放出させるようなことで放置してきました
 このように危険で未来に負荷を残すような日本のゴミ政策は即刻改めなければなりません。この明快でわかりやすいことをなぜ改めないか、誰でも抱く疑問です。答えは、いとも簡単明瞭です。焼却炉や処分場のような、巨大公共事業に絡む官製談合が、長年かかってしっかりと根を下ろしているため、このばかげたごみ処理処分は、微動だにしません。そしてこの問題に正面からぶつかって謎の死を遂げたり、首長の座を突然下ろされたりしたドンキホーテのような人は、幾人もいたということを聞いております。
 私たちは、御用学者でなく、社会正義を貫いた科学者や、専門家、弁護士を通じて、今回の争点である、地下水汚染と大気汚染は、偶然起こった事故ではなく、構造上の欠陥による汚染であることを、裁判上立証してきました。
 全国に2,367以上の水源地にある(平成7年厚生労働省把握)一般廃棄物処分場は、日の出の処分場がモデルとなっているので、当然同じ構造であり、したがって同様な汚染が始まっております。50年後100年後に日本全国の飲料水および大気は一体どうなるか、裁判長は、私たちの立証を通じて十分理解しているはずです。にもかかわらずこのような判決を下しました。すべての法曹の責務である人権の絶対的な尊重、住民や国民の健康生命を守るべき任務を完全に放棄し、自身の保全だけを考える、最高裁の裁判官人事権におもねる上昇志向のヒラメ裁判官と私たちは断を下します。
 代々ごみに絡んだ官僚たちは、総論で「循環型社会形成推進基本法」を嘯きながら、各論の現実では、定年後の天下り先の確保に奔走し、一方このような不埒な官僚に対し、きっぱり断を下すべき立場の裁判官は、己の立身出世を願わんために行政権力に尻尾を振るように腐り果てているのが、残念ながら日本でエリートと嘯いている輩であることを身にしみて実感した裁判でした。これを狐と狸の化かし合い、というのは、私の単なる愚痴でしょうか?
 当然このような判決は全く認めることはできず即刻上告をすると同時に、今まで同様に多くの市民に循環型社会の推進を訴え続け、その形成に積極的に参加していきます。
                                    日の出の森・水・命の会  中西四七生
     2009年6月16日(火)