二ツ塚処分場建設差止訴訟ー判決報告
(2006年9月13日)
◎悲しさ、悔しさを通り越して何と言ったらいいのかわからない。「いまのところは何も起こらない」というのは一体どういうことか。現実には死んでいる。親しかった人が死んでいる。人数が少なければ死んだうちに入らないのか。水俣のときに国は「二度と繰り返してはならない」と言った。けれども今日の判決は、その繰り返しの始まりになるのだろう。 |
◎残念で言葉もない。司法に絶望している。私たちは自分たちで調査もつづけてきた。国の環境基準でなぜ安全だと言えるのか。実際にあの自然豊かな山のなかでダイオキシンは検出されている。汚染は現実にある。大勢死ななければ裁判に勝てないのか。 私たちは「燃やして埋める」ごみ行政に異を唱えて、代替案も出してきた。この判決も私たちにとってはプロセスに過ぎない。これからも全国に汚染を伝える活動をつづけていきたい。 |
◎ひどい。悔しい。判決要旨はこれまでさんざん聞かされてきた処分組合の言い訳をまたそのまま聞かされただけ。裁判官は現状を何も勉強していない。許せない。 |
◎この国に三権分立はないのか。国の基準は安全なのか。今日の判決が三多摩、全国の人たちに「これで(今のままのごみ行政で)いいんだ」と思われてしまうことがとても不安だ。 |
◎冒頭で「公共性と必要性」ということが言われた。そのために、非科学的で現実無視の判決がまかり通る。これは、三多摩のごみがこのまま処理されなくなりますよ、目の前のごみの行く場がなくなりますよ、という脅し。ぼくたちが言ってきたことはそういうことじゃない。「燃やして埋める」のをやめようと言っているだけ。それはできないことじゃない。 次の世代、これから生まれてくる命、小さな命のためにも、ぼくたちはここであきらめるわけにはいかない。10年、20年後に、この判決が間違っていたということを歴史が証明してくれるはず。運動はつづけます。 |