日の出処分場問題関連裁判の成果(中間的総括)

日の出処分場問題関連裁判の成果(中間的総括)
弁護士:樋渡 俊一
2000年3月1日

 日の出町の廃棄物処分場をめぐる法的手続は、1993年7月の公害調停申立て以来、7年近くの年輪を重ねてきました。現在は、①処分場操業等差止め訴訟(東京地裁八王子支部)、②土地収用の事業認定処分取消訴訟(東京地裁)、③収用裁決取消訴訟(東京地裁)、④名誉毀損に対する損害賠償訴訟(東京地裁八王子支部)などが継続しており、いよいよ佳境に入りつつあります。まだ、裁判・法的手続を全面的に総括する時期ではありませんが、この時期に中間的に振り返ってみたいと思います。ここでは成果として3点を取り上げます。

1 公害・環境問題で、情報公開・開示の機運を促進したこと。
  公害防止協定をもとに、電気伝導度などの処分場データの開示請求権を住民に認めた判決は、日の出町の処分場だけでなく、全国の廃棄物処理施設、ひいては公害・環境問題全般に大きな影響を与えました。98年11月20日最高裁は、田島喜代恵さんがデータ開示を処分組合等に求めていた裁判で、処分組合等の控訴を棄却する判決を出し、田島さんのデータ閲覧、謄写請求権を認めました(もっとも、「電気伝導度の記録は存在しない」との処分組合の主張を認めた高裁の判決は容認しました)。最高裁が廃棄物処分場の周辺住民に、処分場設置者への情報開示請求権を認めたことは画期的でした。この日の出町のケースがきっかけになったと考えられますが、この最高裁判決と前後して、廃棄物処理法が改正され、その8条の4、15条の2の3などで、廃棄物処理施設の維持管理に関し、生活環境の保全上利害関係を持つ人は、施設管理者に対し資料閲覧請求権を持つことが認められました。情報公開条例などに基づく行政情報の公開も重要ですが、それとは別の意味で、健康や環境保持に関して不安を感じている周辺住民に、施設設置者への情報開示請求権を認めたことも重要です。それだけ実質的に人格権、環境権を重視し、その権利の範囲を認め、あるいは拡げたことになるからです。施設設置者ゆえの義務ですから、行政ではなく、産業廃棄物処理業者のような民間人であっても、周辺住民に対して情報開示義務を負うことになりました。
 このように、田島さんの裁判は画期的な意義を持っています。これを、間接強制金を処分組合に返したのだから、実質的に負けたのだと理解するのは誤りです。処分場周辺の公害を防止し環境を保全する運動、ひいては公害防止・環境保全のための運動に多大な貢献をしたと述べて良いと思います。
 なお、昨年(99年)にはPRTR法も制定され、住民の知る権利は一層拡充されています。

2 「しゃ水工(ゴムシート)によって安全」との虚構を暴いたこと
  情報開示の運動・裁判を通じて、開示されたデータを科学者の方々に分析していただくことにより、これまで厚さ1.5mmのゴムシートで、廃棄物中を通り抜けた雨水などによる周辺土壌、地下水の汚染が防止されるという廃棄物処理法やそれに基づく共同命令(一般廃棄物の最終処分場及び産業廃棄物の最終処分場に係る技術上の基準を定める命令)の建前、「神話」が虚構にすぎないことが、白日のもとに晒されました。「裸の王様」が裸であることが明らかになったのです。
 こうして、98年6月、上の共同命令が改正され、しゃ水工、浸出液処理設備等に係る構造基準が、それまでよりは強化されることになりました。これも日の出の運動・裁判が法規を変えた一例です。

3 循環型社会づくりへの貢献
  現在、与党3党は、循環型社会づくりのための法案づくりをしています。民主党などの野党も対案づくりに取り組んでいます。資源循環型社会を作らなければ社会を持続的にやていけないこと、大量生産・消費・廃棄社会を変えなければならないことは、国民的な合意になったといってよいと思います。その背景として、廃棄物処分場の周辺が汚染されていることが、日の出のケースなどで目の当たりになったこと、世の中の人々が日々の報道などを通じてそのことを認識してくれたことが大きいと思います。この意味でも、日の出の運動・裁判は、歴史的にみて重要な役割を果たしてきたと述べて過言ではないと思います。

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